妹を甘やかすのは自分のためだった。
私には5歳下の妹がいます。
歳の離れた妹というのは可愛いもので、小さい頃から進んで面倒を見てきました。
私の中で妹の世話をするのが当たり前で、思い出せば妹のテスト前に深夜まで勉強に付き合い、バレンタインのお菓子は一緒に作ってやり、結構面倒くさいとことも苦なくやってきました。
妹の困った姿を見た途端、なんでもやってあげることが私の使命になるのです笑
妹が甘えて頼ってくれるのがうれしかった。
喜んでくれる姿もうれしかった、
でも最近、違和感が生じました。
妹はもう成人して23歳になります。
ここらでお節介は控えめにするべきだという思いが核心に変わりました。
妹は能力のない人間ではありません。
小さい頃から周りがなんでもやってくれるので、それに甘んじてきただけのことです。
放っておくと自分で色々見つけてきてうまいことやっています。
私がやってあげることで妹の成長と自立の機会を奪っていたのだと今はわかります。
本当に妹は私にそうして欲しかったのかもわかりません。
甘えると私が喜ぶからそうしてくれるのかもしれません。あるいは習慣かも。
私の妹という役割を演じさせてしまっているのかもしれません。
私には問題がありました。
自分に自信がないから、誰かのために何かをすることは安心することでした。
したいことも何もない私は誰かの意思に任せて行動することが楽だったのです。
変わりました。
嬉しいことに、自分の好きなことやしたいことができたのです。
誰かの世話よりしたいことがあるなんて素敵。
例年通り、自分のバレンタインを作った後に妹のバレンタインの手伝いをしていたのですが、途中でやめて寝るところです。
明日はデートなので早めに退散してきました。
お互いが自立した新しい関係が築けますように。
おわり
良い映画を見ると憂鬱になるのは…
映画を見てまいりました。
「この世界のさらにいくつもの片隅に」
「この世界の片隅に」のスピンオフ作品です。
監督にサインと握手をしていただきました。
監督が目をみて「ありがとうございます」とおっしゃってくださってとても嬉しかった。
手が柔らかくて温かくてもっちりしてたのが印象的です。
「この世界の片隅に」は主人公のすずさんの戦争の中の暮らしを描いた作品です。
日常の細やかな風景や人物の関係性は、とても自然で嫌味がない。
登場人物は愛らしくてどこか憎めない。
精神的に自立していてさっぱりしたものです。
戦時中も変わらず生活を続ける市井の人びと、厳しい生活の中に楽しいこともあります。
戦争は繰り返してはいけないと、戦争経験者の方からよく聞いていましたが、「そんなの当たり前じゃない」と深く考えることはありませんでした。
国同士の戦争という、自分でもどうしようもなく大きなものに踏みにじられること。
家を壊され、大切な人の命が奪われ、どんなに悔しかったか、やりきれなかったのか想像すると胸が痛みます。
その中でこれからも生きようとする人々の姿に胸が打たれました。
ここからが問題なのです。
良い作品に触れた高揚感の影に虚しさを感じるのです。
この素晴らしい作品を作った表現者たちや、作品の中の輝くような登場人物を見ると、自分がいかに懸命に生きてないかを実感してしまうのです。
始める前からできない理由ばかり探し、努力を怠ってきた自分が見えるのです。
生ぬるい優しい世界にずぶずぶ浸り、失敗するのが怖くて何もしないで自分を正当化するのです。
くそー!!だめだ!
変わりたい。
私もそうなってみせる。
そうなる。
おわり
他人を羨んで時間を無駄にするのはもったいない!
わたくし、引きこもり時代がありまして。
悩むことが苦しくて、悩みからの回避行動をして1日を終えていました…(アホ)
10代、20代前半の人間を見れば、若さに羨ましさを感じたり。
社会的に成功してる方や、見目麗しい方に対しては、自分を格下げして相手を同等に扱おうとしなかったり。
両親が裕福で優しく教育熱心な家庭はチートだ…と自分の不遇さを呪ったり…
そんなことには何の意味もありませんでした。
他人を羨むということは、自分の現状から目をそらし、努力したくないがための言い訳なのだと最近思うのです。
上を見ても下を見てもキリがありません。
価値判断も人によりけり、自分の尺度など偏っているものです。
うじうじ自分のダメに焦点を当てて考えていても、不愉快な思いが増すだけです。
この人は〇〇だから✖️✖️できるんだ…
そんなの考えるより、どうしたらそうなれるか考えて着実に行動することにしました。
そしたらなんとも開放的…
自分のことが少しずつ好きになりました。
自分はどうせ美しくならないと開き直っていましたが、本気でダイエットを始めました。
やりたい仕事も自分なんて引きこもっていて大した学歴もないからダメだ.
どうすれば近づけるのか考えて行動し始めたのです。
主体的でいること自体が自己肯定感や、幸福度を上げるのではないかなぁと思った次第です。
おわり
YouTuberを見てリハビリをする
元引きこもりの私なのだけど、
学生時代はやっぱりスクールカーストの下の方にいたわけですよ。
中学時代はオタクの女の子の集まりの美術部に所属し、友達もあまりいない感じの学生でした(悲しみ)
彼氏と一緒に帰るとか憧れだったなぁ💔
まぁそんな華やかなこととは無縁で、こそこそといじめられないように過ごしていたわけです。
微妙にいじめられたりしてですね。
そんなひどいいじめにあったわけではないのですよ‼️
一部の女子にヒソヒソ陰口を言われたり、男子にすれ違いざまにキモいと言われたりしたくらいでね。
思い出して切なくなってきたわ!!
いじめられた理由、今ならわかる!
当時の私は協調性がなくて性格に難があったので、同級生の者どもは違和感を感じたんだろうなと思う。
仕方ねぇ、許してやる。
いじめたやつの顔は生涯忘れないけどな‼️
それは置いといて、10年以上経った今でも心理的な面で影響していると感じるわけですよ。
スクールカースト上位にいそうな、イケメンな人、おしゃれな人、きれいな人、ギャルっぽい人が怖いわけよ。
なるべく自分から近づかないようにしてしまうのさ。
自分の底を見透かされてバカにされそう気がしちゃうのかな。被害妄想なんだけどね。
外見で人間性を判断するのは正しいことではないのは分かってるのだけど、反射的に体が反応してしまうんです!
必要なら世間話はできるけど、苦手意識が半端ない。
そこでいい解決方法を見つけたのよね。
それはスクールカースト上位にいそうなYouTuberの動画をみること!
学生の時の姿を想像して、もろいじめてきそうなタイプの人の動画を見るんです。
その人たちの日常を見て生態を観察していると、自分と同じ普通の人なんだなぁということが分かって安心したなぁ。
一見ツンケンして怖そうに見えても、本当はやさしかったり、誠実だったり
逆にいい人そう、おとなしそうに見える人でも、小賢しかったり、冷たい人もいるので
人を外見で判断せずに、どんな人も対等に話せるようになろうと決めましたとさ。
今日はここで終わり。
ブログを始めて1ヶ月ぐらいかな。
スターをくれる人も出てきてすごく嬉しいです。
励みになるのでコメントよかったらお願いします!
考えてみたら恋愛畜生だった
前の彼氏と別れて1年ほど経つ。
10代〜20代半ばは、恋に恋していた時期。
恋に憧れ、異性を見れば恋愛対象として意識していたような気がする。
初めてお付き合いしたのは25歳の時で、経験するすべてはじめてで楽しかった。
引きこもって過ごしていたので恋愛偏差値、人間偏差値と共に30われしていたのではと思う。
相手を思いやる気持ちが持てず、自分本位に相手を振り回してしまったのが後悔してる。
28歳の今。
そろそろ結婚を考えて価値観の合うパートナーが欲しいと思うのだけど、好きな人を見つけるのがこんなに大変なことだとは思わなかった。
外見を気にするようになって、社交性のレベルが人並みに上がった頃から徐々に異性からお誘いが増えた。
私も恋人が欲しいので、嫌な相手ではなかったらお誘いにのってみるようにしてみた。
話していて楽しいだとか、そういった感情はあれど異性として見れないのである。
不思議なことに相手が高収入だが、顔が整っていようが、性格が良さそうだろうと、付き合いたいだとか、心が惹かれることがないのである。
好きになって付き合ったことが一回しかなく、私はよくわからない。
世間の人はどの程度の好きで付き合うのだろうか?
付き合っていくうちに好きが増していくものなのだろうか?
そもそも私がタイプの人と出会ってないから、乗り気にならないのだろうか?
何回かデートしてお互いのことを知って、そこから付き合ってデートを重ねて更にお互いのことを知って、なんて手間のかかることなんだろうと思ったりするけど、好きな人となら喜んでするもんなぁ。
タイプの人と会って愛を育むしかないよね。
タイプの人と会うのが難しいんだよ。
そういえば、基本受け身で向こうから近づいてきてくれる人としか絡んだことがなかった。
これが原因か!!
気になる人がいたら誘ってみるとか、したことないなぁ。
好きになってもみてるだけ相手に気がついてもらおうとする小癪なタイプなのよ私!!
盲点だった…
自分なんかに好意を寄せてくれる人なんて、きっとたいした人じゃないってどこかで思ってた。
自分は努力せずに誰かに好いてもらえるって自尊心の助けにしていたし、好意を寄せてくれた人を下に見てたんだな。
なんで卑怯なことをしてたんだ…
Oh---
明日からこの反省を胸に生きていくよ
去年、治験で25万円もらった話
去年の秋頃のことです。
人生で一度経験したいという思いがあって、治験を紹介してくれるメルマガに登録していました。
あまりいい案件がなく1年ぐらい放置していたのですが、あるときふとメールを見ると10日何の一般女性の治験の募集が目に入りました。
治験は男性の募集がほとんどで、女性の案件があっても条件が合わないものがほとんどだったので飛びつきました。
先に感想を言うと、だいぶ快適で楽しかったです。けっこう太ります。
・メールで応募
↓
・紹介会社から電話で問診
↓
・事前健康診断(トータル30〜40人)
↓合格
・本試験10日間(12人中6人が帰宅)
↓5日後
・事後検査
トータル25万円くらいいただきました。
けっこう美味しい話なのですが、本試験に行き着くまでが難関です。
事前健康診断が4日間ほど設けられたいたのですが、私が参加した日でも10人以上の方が参加していました。
トータル50人は治験に応募してたんじゃないかな?
皆さん至って普通の人で、大学生から主婦の方までいらっしゃいました。
場所は都内の病院で、身長やら心電図やら血液検査等行いました。
結果は後日連絡すると謝礼金3000円をもらった帰宅しました。
交通費を抜くと1000円…。
拘束時間からみると割りに合わないなぁ。
あの人数だとどうせ受からないだろうなぁと諦めていたところ。
2週間に合格の連絡が来ました。10日間の荷物を持って病院に集まるように指示されました。
本試験は12人の方が来ていましたが、この日の検査で半分が落とされました。
誰が落ちるかわからないまま、検査が行われ、お昼ご飯を食べ、心臓に悪かったです。
1人1つベッドを与えられて
普通に入院するような感じかな。
基本的な1日の流れ
7時→起床、朝食
10時→ラジオ体操
12時→昼食
13時→順番にシャワー
15時→ラジオ体操2回目
18時→夕食
21時→投薬、就寝
検査が入る日もありましたが、基本はこんな感じ。
朝ごはん
菓子パン2個、フルーツジュース
昼ごはん→仕出し弁当
夜ご飯→仕出し弁当
看護師さん曰く、一日中体を動かさずに三食きっちり食べるので、みんな太っていくらしいです。
なるべく残さないように言われます。
女性は男性の摂取カロリーに合わせてるので余計に太ります。
日中は横になることが禁止されていて、デイルームと言われる部屋で過ごす決まりでした。
漫画や本、テレビなどが用意されていました。
私はパソコンの勉強をしつつ、疲れたら漫画を読むといった感じで過ごしていました。
ほかの参加者とは別段コミュニケーションをとることもなく、一人ひとり自由に過ごしていました。
そんなこんなで10日間を過ごし、治験終了して帰宅しました。
けっこういい思い出です。