心から楽しめない症候群
先日、好きなアーティストのライブに行ってまいりました。
買ったばかりのグッズを身につけ、自然と体を揺らし盛り上がる観客を傍目に私は考えていました。
なぜ私はこうしないんだろうか?
ライブの内容はよかったです。
生歌も舞台の演出も新鮮でよかった。
ただ熱中することができず、他の色んなことが頭を通り過ぎるのです。
ずっと立ってて足が痛いだの、ライブで同じことをしていてアーティストたちは飽きないんだろうか気がかりになったり…
客席を眺めて何割のお客さんがグッズを買ったのか予測しようとしたり、曲ごとの照明のパターンの違いを自分なりに考察したり…
せっかくライブまで来たのだから思いっきり盛り上がれたら楽しいと思うのですが、私の頭はそうしてくれません。
これは慣れによるものなのでしょうか。
初めて行ったライブは普段大人しい私でも我を忘れて盛り上がったことを覚えています。
テレビで見ていたアーティストがこんな近くに、生声をかけるなんてなんて素晴らしいことなんだろう。
脳からアドレナリンが出たときの高揚感、あの興奮をまた感じられたならいいのに。
ディズニーランドもそうかな。
小学生の時は出発の前日は明日夢の国にあるなんて想像して眠れなかったものです。
付き合いで2年に一度くらいの頻度で行っていますが、楽しい気持ちが3割と残りは煩悩…。
今はもう料金が高いですし、往復の交通が面倒であまり行く気にはなれません。
大人になった証なのでしょうか。
そうならば、大人になるというのはつまらないものです。
初めてはことは興味深いものです。
悲しいことに頭が一杯になる程のめり込んだものでも、ある程度経験すると興味が薄くなってしまいます。
私の場合はそれが顕著なのかもしれません。
脳がパターンを把握し予測できるようになると、その途端に面白く感じなくなるのでしょうか。
映画もそうです。
アニメも、本もパターン化されたものが蓄積されて、予測できるのです。
今流行りのアニメも焼き回しのようにしか思えない。
そうなると私はやさぐれてきて、世の中はつまらないことばかりだとか馬鹿なことを考え始めるのです。
……今文章を書いていて真実ではないと気がつきました。
私が新しい領域に触手を広げていっていないだけの話です。
毎日同じものを食べて文句を言っているようなものなのでしょう。
日々、新しい表現や技術が生まれて素晴らしいものが世の中にありますよね。
私が食わず嫌いしているか、もしくは存在を知らないような素晴らしいことがあるに違いないのです。
世の中には星の数ほど娯楽があるのです。
脳が飽きるのは仕方がない。
死ぬまでめぐりめぐって色んなものを楽しもうと思います。
他のものを楽しんで、忘れた頃に好きなものに舞い戻ったらまた新鮮で楽しいかもしれませんね。
おわり