死にゆくアサリに思うこと
今日は節分で、恵方巻きとアサリの汁を作った。
うちの家ではアサリの汁がたまに出てきていたが、何も気にせず食べていた。
母が台所で砂抜きをしているアサリをつついて遊ぶのが好きだった。
料理はよくするのに、そういえばアサリの汁を作るのは初めてだったなと考えながらアサリを冷蔵庫から出した。
パック詰めにされた生きたアサリ達、口を貝殻の間から出して、水が泥を吐き出して生命活動をしている。
なんとなく愛おしさを感じる。
アサリを鍋に入れて水を注いで火をかけようとしたとき、急にアサリを気の毒に思い始めてしまった。
あぁ、熱湯の中で死んでいくなんて、なんて気の毒なんだろう。
私は肉も普通に食べるし、この間フォアグラを初めて食べて美味しいと思った時にはそんな悲しい気持ちにはならなかった。
アヒルを無理に太らせて肝臓を肥大させたものだって知ってるのに。
あぁ、でもアサリを飼う程の優しさは私にはない。
火をかけるとアサリの貝殻が少しずつ開いてくる。
「あぁ〜、ごめんねぇ」といい歳してアサリに話しかけてしまった。
硬くならないように火を弱めにすると、じわじわと鍋の温度が上がってアサリが死んでいくのが見える。
さっきまで水の中で生きていたアサリが私の手によって命を落としていくのが、なんとも悲しい気持ちになった。
他のマグロやサーモンや卵やとびっこには何も思わなかったのに。この気持ちは矛盾している。
目の前で生き物の命がなくなるのを久しぶりに見たからショックだっただけだ。
学生の時にマウスの解剖をして悲しくなってしまったのを思い出した。
犬が好きなのでペットショップなど生体販売には反対であるし、鯨を食べることは多分反対だと思う。
ゴキブリやセミが死んでもなんとも思わないのに、可愛い蜘蛛は外に逃がしてあげる。
自分勝手なモラルを持って生きている。
自分の身近な愛情を感じるものが傷つくことには強く反応しているに過ぎないんだなぁ。
これからも生き物の命をいただいて生きていくことは間違いない。
せめて感謝して無駄にすることなくいただこうと思う。(小並感)
とアサリを食べながら考えた1日でありました。